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越谷の伝統工芸

かつて日光街道の宿場町であった越谷には、江戸時代、日光東照宮建立などの職人が往来し、その中で越谷に定住した職人たちが、いくつかの伝統工芸を発達させたと言われている。


 ■越谷のひな人形

越谷のひな人形の歴史は、江戸時代安永年間(1780年頃)にまでさかのぼる。 江戸幕府が京都から人形職人を日本橋十軒店に呼び寄せ、そこに弟子入りした越谷新町の 会田佐右衛門が、優れた人形作りの技術を習得した後、越谷に戻り、人々に広めたと言われている。

またそれ以前より越谷の工芸であった桐箱づくりと関連し、桐箱のおがくず(粉)とのりを練って作る「練りびな」 も作られた。

越谷では、今も江戸の手作りの技術が多く継承されており、頭・胴・手足から飾り・道具・屏風まで、すべてが 市内で制作されている。

昭和58年に埼玉県の伝統工芸品に指定された。

より詳しいお話は「匠・わが街の職人」
越谷ひな人形職人・山崎昭二さんインタビューをご覧ください。



 ■越谷だるま

雨や湿気の少ないという、だるま作りに適した越谷の気候。水資源に恵まれ農業がさかんな土地であり、冬場の農家の副業としてだるま作りが広まったこと。これらが、越谷でだるま作りが栄えた理由と言われている。

だるまは、本山の高僧が座禅を組んだ姿を表したもので、だるまの赤色は、本山の高僧しか着ることを許されない赤い袈裟の色であり、だるまの金の模様は、袈裟のひだを表している。

越谷だるまの特徴は、顔の色が白く、鼻が高い美男子風な面立ちであること。 手作業の工程がほとんどで、特にヒゲ描きには、穂先の細長い面相筆(めんそうふで)を使う。手作業である上、それぞれのだるま職人が描き方を工夫しているので、一つ一つのだるまを見比べると、ヒゲ、眉、口などに個性が表れている。

古くは、魔除けとして求められたが、次第に縁起物として売られるようになり、家内安全・商売繁盛・合格祈願・福招きなどの「開運だるま」として親しまれている。

お願い事をする時には、だるまの左目を入れ(入魂)神棚に供え、願いが叶ったら、右目を入れて神社に奉納するのが習わしである。

越谷で生産されているだるまは、年間数十万個。川崎大師・柴又帝釈天・西新井大師などをはじめ、日本全国で販売されている。
(一部、越谷市だるま組合パンフレットより)

より詳しいお話は「匠・わが街の職人」
越谷だるま職人・荻野芳雄さんインタビューをご覧ください。



 ■越谷せんべい

江戸時代初期、越谷の農家では、家庭用として「やき米」が作られていた。これが「越谷せんべい」のルーツと言われている。後、茶店の売り物用として、越谷米と野田の醤油を用いるようになり、手焼きせんべいが名物となった。(越谷米菓組合)

また、せんべいの生地を乾燥させるための気候の良さや、旧日光街道沿いであること、宮内庁の鴨場や梅林への人の往来も、越谷せんべいの発展に関係したとも言われている。

現在、越谷市内には約15の越谷せんべい店があり、それぞれ独自のこだわりの味を提供している。

より詳しいお話は「匠・わが街の職人」
越谷手焼きせんべい職人・大塚正雄さんインタビューをご覧ください。